おはようさん 2015.1.24.

今日は京都観世会で能「熊野」と「船橋」を堪能してきました。
まずは「熊野」(ゆや)のご紹介を。
熊野:
春の風景の中、主人公の心の動きをゆるやかな過程で追う。いかにも能らしい能として、古来「熊野松風に米の飯」(『熊野』と『松風』は、米飯と同じく何度観ても飽きず、噛めば噛むほど味が出る、の意)と賞賛されてきた。
ストーリー:時は平家の全盛期、平宗盛の威勢の良い名乗りで幕を開ける。宗盛には愛妾熊野がいるが、その母の病が重くなったとの手紙が届いた。弱気な母の手紙を読み、熊野は故郷の遠江国に顔を出したいと宗盛に願う。だが、宗盛はせめてこの桜は熊野と共に見たい、またそれで熊野を元気づけようと考える(「この春ばかりの花見の友と思ひ留め置きて候」)。
熊野の心は母を思い鬱々としながらも、道行きに見る春の京の姿にも目を喜ばせる。やがて牛車は清水寺に着いた。花見の宴会が始まり、一方熊野は観音堂で祈りを捧げる。やがて熊野は呼び出され、自分の女主人としての役割を思い出す。宗盛に勧められ花見の一座を喜ばせようと、心ならずも熊野は桜の頃の清水を讃えながら舞を舞うが、折悪しく村雨が花を散らす。それを見た熊野は、
いかにせん都の春も惜しけれど、馴れし東の花や散るらん
の歌を詠む。宗盛もこれには感じ入り、その場で暇を許す。熊野は観世音の功徳と感謝し、宗盛の気が変わらない内にとすぐさま故郷を目指し出立する。
「東路さして行く道の。やがて休ろう逢坂の。関の戸ざしも心して。明けゆく跡の山見えて。花を見捨つるかりがねの。それは越路われはまた。あずまに帰る名残かな。あずまに帰る名残かな。」

能が始まる前の前説では、平宗盛はエゴイストだと散々に言われていましたが、愛人が落ち込んでいる時に花見に行って気分転換しよう、という発想もダメ男としてはよくわかります(;^^)ヘ..

能面はうつむいたり、頭をあげたり・・・わずかな角度の変化であらゆる表情を表現できると聞いていましたが、今日の熊野では、その能面の持つ感情とこころうちの表現力が余すところなく発揮されていました。
人間の生の顔よりも・・・もっと研ぎ澄まされた感情表現になるのですね。
民博(国立民族博物館)にいくと、世界中のお面がいっぱいあります。
呪術用も祭り用もオモチャのお面も・・・
展示されているお面を現地の人たちがかぶっていたように動的に見ることができたら・・・神としての人間像、動物としての人間像、村の人間像がもっと深く太くつかめるでしょう。
民博のお気に入りのお面を実際に被って、その場で手足と身体が動くままに踊ってみれば、きっとたちどころにトランスして自我の根源を見ることができるでしょう。
そして、イスラムのお面、カンボジアのお面、ジャワのお面、アフリカのお面、日本のお面・・・と世界中のお面を被って踊ってトランスを繰り返していけば、自我を超越した大我の根源と合一できるでしょう。


船橋:
熊野三山で修行した山伏たちが、松島、平泉に向かって旅をしている。上野の国佐野に着いた所で、里の男と女が船橋を造っていた。男と女は昔の跡が恋しいと言いながら、迷いの道に至らず、悟りの道に至るために橋を渡そうと思っていると言う。そして、橋を渡すために、山伏に勧進を求めてきた。そして、ここは昔男女が恋い焦がれながら川に沈んだ場所であると、万葉集の歌を引き合いに出し、二人を救うためにも橋を架けたいと言う。役行者も昔、岩橋に橋を渡したのだからと引き合いに出し、勧進を迫る。
山伏がさきほどの万葉集の歌の意味を尋ねると、男は、昔ここに住むある男が、川をへだてた向こうに住む女に憧れて、毎夜船橋を渡って通っていた話をしはじめる。それを良く思わない親が橋の板をとりはずしたために、男と女は川に落ちてしまい、そのまま亡くなり地獄で苦しむ。それでもなを恋しく、邪淫の思いに身を焦がしているという話を語って聞かせた。そして男は、その男こそが自分であると告げ、弔って欲しいと山伏に言う。
山伏は男女の霊を弔うと、女の霊が現れ仏法の力で救われたと感謝する。しかし男の霊は妄執のために成仏できないでいた。そこで男の霊は昔の所業を懺悔するため、女のところに通ったときのことをそのまま再現する。そして妄執のために悪鬼となって自分を責め、苦しみの中に沈んでいた中から、行者の法力によって成仏する。

ここでも男はダメですねぇ(^^ゞ
男は妄執のために成仏できずに悪鬼となって・・・います&います! 悪鬼になりそうな男どもだらけなこの世です。
「羽衣」でもわかるように、天にいるのは天女ばかり?なのは、逆に言えば、男どもは妄執が強くて、ほとんどが悪鬼に堕ちてしまうということでしょうか・・・くわばら&くわばら。
でもご安心を! 光との対話で光さんの姿で多いのは、仙人や白いヒゲのおじいさんですから、ちゃんと妄執から解脱できれば、天女たちのハーレムが待っている!ってlことです。
こりゃぁ 是が非でも解脱せねば(←これ自体が妄執)
それにしても、ピン子な親って、いつの時代にもいたのですねぇ。
何も橋板をはずさなくても・・・おいおいって感じです。

能の悪鬼はすごい迫力で鳥肌が立ちました。
これも能面の威力ですね。
能面を着けると、その役柄になりきれる・・・同化してしまうそうです。
デジタルでは決して表現できない「氣」が能楽には満ちあふれています。
そして・・・
「妄執のために悪鬼となって自分を責め、苦しみの中に沈んでいた中から、行者の法力によって成仏する」
そんな末期の人たちを、この世に生がある間に、自分を責め、自分を否定し、自分が嫌いなのを、自分を許し・あるがまま認め・愛して信じることができて旅立てるようにそばにいてあげるのが出雲 鰐淵寺ホスピスのコンセプトだと再確認したのです。


前世物語
   美子インタビュー
 この本もとうとうエピローグとなりました。今日は私、美子が司会役となって、この本のメイキング編を先生と一緒にお話ししようと思います。本文中で先生はよく暴走して大演説をしてましたけど、今日は私が仕切りますから、先生は聞かれたことだけに答えていればいいですからね。わかりましたか?・・・はい、よろしい。(以下、先生の発言は『』の部分です)
 まず最後までお読みいただきました読者のみなさまに、先生とスタッフ共々、厚くお礼を申し上げます。どうせ大作を読むんだったら谷崎潤一郎や川端康成を読んだ方がよかったわ・・・と言われないように、先生は一年間、一生懸命書き続けていました。正直言って、私はこの作品に嫉妬しています。ここでは私と先生はとてもラブラブに描かれていますが、この一年の間、先生のデートのお相手はいつもこの原稿「ナディア」でした。(原稿にペットネームをつけるヤツって、やっぱり変ですよね?) これが私でなければ、先生の失恋リストがまた一ページめくられていたと思います。
 先生の人生最愛の美子に焼きもちを焼かせる程、気持ちを集中して書き上げた「ナディア」には、先生の魂がこもっています。でも、先生の魂の情熱パッションは読者のみなさんをねじ伏せようとはしていません。これがたくさんの悩める人々の心の治療に役立てば、という願いを込めて、勇気を奮って先生がサウスポーで投げた一石なのです。これが賛否両論の波紋を起こすことを期待すらしているようです。先日、こんなことがありました。
『美子さん、今までは無視されていたけど、これからは哲学的な思索よりもただ実践あるのみ、の体育会系の人たちからのいじめがあるかもしれないよ。こんな危ないヤツと別れるなら、今のうちだけど・・・イテッ!』
 それからの二週間、お尻の青あざが消えなかったそうです。女の情念の熱さを先生も少しは感じ取れたことでしょう・・・ね、先生? はい、よろしい。
 過去生退行催眠は、アメリカのワイス博士の「前世療法」「前世療法2」「魂の伴侶」「魂の療法」(
各PHP研究所)で世に知られるようになりました。その日本版のつもりで本書を手に取られた方は少しガッカリされたかと思います。この本の構想が出来上がった時に先生から、『美子さん、過去生の部分を出来るだけ簡潔にまとめておいてくれるかな』と頼まれました。先生のイメージでは、過去生の部分はクリストフ・バタイユのように「詩的に美しく」したかったそうです。ストーリーさえわかれば、あとは読者のみなさんのイマジネーションで自由に想像していただきたかったそうです。先生にとって過去生での出来事には、その患者さんがネガティブなエネルギーをそこで解放するか、現世との対比からポジティブに振り向くためのA - H A :気づき を得られるか、の価値しかありません。
 例えば、ある水恐怖症の患者さんが過去生で役人(今の父親)の拷問によって顔を水の中に押し込まれて溺死してしまった人生を思い出した時、水の中で死が迫る恐怖を再体験することで現世の水恐怖症が治ってしまった、というお話は読んでいて面白いですが、しかしそれだけであって、そのお話を読むことで他の水恐怖症の人たちも同時に癒されるということはありません。そう、過去生が体験談だった時代は終わったのだそうです。

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